中日ドラゴンズに数多くの外国人選手が助っ人にやって来た期待どうりに活躍できた人、
また期待はずれだった人。あなたは何人の助っ人を覚えているだろう。
このページは見切り発車で資料を集めながら作成していますので完全ではありません。
| 選手名 | 在籍年数 | 生年月日 | 試合数 | 安打 | 打点 | 本塁打 | 打率 | 背番号 | 守備位置 |
| 与那嶺要 | 61-62(実働2年) | 1925/6/24 | 93 | 29 | 10 | 1 | 181 | 37 | 外野手 |
| 巨人から自由契約で入団、巨人時代は首位打者3回、MVP1回、ベストナイン7回。愛称ウォリー 74年監督になり巨人のV10を阻止、20年ぶりの優勝に導く |
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| 半田春夫 | 61(実働1年) | 1931/4/20 | 112 | 82 | 30 | 3 | 238 | 9 | 内野手 |
| 登録名カールトン半田。南海(現ダイエーホークス)から移籍。元祖バックトスの名手、守備には定評があった。 | |||||||||
| ドン・ニューカム | 62(実働1年) | 1926/6/14 | 81 | 73 | 43 | 12 | 262 | 36 | 外野手 |
| 元々は投手、打撃の上手さを生かし4番をつとめた。長距離バッター | |||||||||
| ラリー・ドビー | 62(実働1年) | 1924/12/13 | 72 | 54 | 35 | 10 | 225 | 7 | 外野手 |
| 大リーグ14年間で252本塁打の実績があったが日本ではパットしなかった。 | |||||||||
| ボブ・ニーマン | 63(実働1年) | 1927/1/26 | 110 | 107 | 53 | 13 | 301 | 5 | 外野手 |
| 中距離ヒッターでシュアな打撃が売り物。 | |||||||||
| ビリー・クラウス | 63(実働1年) | 1928/12/9 | 62 | 47 | 22 | 3 | 257 | 36 | 内野手 |
| 変化球に対応できず1年限りで退団。 | |||||||||
| ジム・マーシャル | 63-65(実働3年) | 1931/5/25 | 408 | 402 | 252 | 78 | 268 | 6 | 外野手 |
| 日本球界現役大リーガー第一号。攻守好打で活躍、特に巨人戦には強かった。 | |||||||||
| ケン・アスプロモンテ | 64-65(実働2年) | 1931/9/22 | 179 | 154 | 80 | 20 | 270 | 4 | 内野手 |
| 主に、遊撃を守るが守備範囲は狭かった。72年にインディアンスの監督に。 | |||||||||
| ポール・ホイタック | 65(実働1年) | 1930/11/6 | 18 | 57回1/3 2勝3敗 防御率3.16 4 | 投手 | ||||
| テスト入団、ナックル、チェンジアップが得意。 | |||||||||
| ジェイ・ワード | 66(実働1年) | 1938/9/9 | 104 | 82 | 41 | 14 | 238 | 4 | 内野手 |
| 練習熱心な真面目な外国人。帰国後はロイヤルズで活躍。 | |||||||||
| ジーン・スチブンス | 66(実働1年) | 1933/1/20 | 109 | 52 | 29 | 5 | 224 | 30 | 外野手 |
| 足長おじさんの愛称で親しまれた。 | |||||||||
| スティーブ・フォックス | 69(実働1年) | 1946/2/12 | 76 | 41 | 23 | 5 | 222 | 4 | 内野手 |
| チーム3年ぶりの外国人選手だったが期待はずれに | |||||||||
| ジョン・ミラー | 70-72(実働3年) | 1944/3/4 | 382 | 344 | 222 | 79 | 245 | 4 | 内野手 |
| 在籍3年間、毎年本塁打は20本以上打点はチーム一。 | |||||||||
| ジム・パビリエ | 70(実働1年) | 1941/9/15 | 93 | 52 | 31 | 9 | 188 | 5 | 外野手 |
| 170センチと小柄なわりにバットを振りまわし、そこを日本の投手に狙われた。 | |||||||||
| バード・シャーリー | 71-72(実働2年) | 1940/1/4 | 246 | 137 | 79 | 15 | 183 | 6 | 内野手 |
| 守備は一流、72年にはダイヤモンドクラブ賞を獲得。 | |||||||||
| ジミー・ウィリアム | 73-74(実働2年) | 1946/5/3 | 213 | 163 | 65 | 14 | 249 | 5 | 外野手 |
| 74年は代打でチームの優勝に貢献した。 | |||||||||
| ボビー・テーラー | 73(実働1年) | 1944/3/20 | 105 | 69 | 27 | 7 | 222 | 4 | 外野手 |
| 174センチと小柄、日本ではクリーンアップを打てると評判だったが期待はずれに、 74、75年の2年間は阪神でプレーした。 | |||||||||
| ローン・ウッズ | 75-76(実働2年) | 1943/2/1 | 192 | 160 | 68 | 19 | 263 | 30 | 外野手 |
| ダイヤモンドグラブ賞1回受賞。75年はリーグ最多三塁打。クローズドスタンスの独特の構えが 特徴的。 | |||||||||
| ジーン・マーチン | 74-78(実働5年) | 1947/1/12 | 621 | 592 | 415 | 161 | 276 | 4 | 外野手 |
| 日本の野球に順応し1年目に35本塁打を打ち優勝に貢献した。 | |||||||||
| ウィリー・デービス | 77(実働1年) | 1940/4/15 | 72 | 88 | 63 | 25 | 306 | 3 | 外野手 |
| 塁間を6歩で走るという伝説を生み、巨人戦では満塁ランニング本塁打をみせた。 | |||||||||
| フレッド・クハウルハ | 78(実働1年) | 1953/2/23 | 25 | 72回2/3 3勝4敗 防御率4.32 42 | 投手 | ||||
| フォークボールが武器、高見山(現東関親方)のいとこ | |||||||||
| ウェイン・ギャレット | 79-80(実働2年) | 1947/12/3 | 192 | 146 | 93 | 28 | 241 | 3 | 内野手 |
| 広島で活躍したA・ギャレットの弟。兄のイメージが強く大砲として期待されたが、パワー不足を露呈。 | |||||||||
| ボビー・ジョーンズ | 79-80(実働2年) | 1949/10/11 | 174 | 155 | 75 | 20 | 284 | 4 | 外野手 |
| ギャレットとのコンビで2年間プレーしたが、活躍できず、守備でも精細を欠いた。 | |||||||||
| レイ・コージ | 81(実働1年) | 1956/2/15 | 120 | 86 | 41 | 15 | 251 | 4 | 外野手 |
| 凡打が多く長打も少なかったために1年で 失格の烙印を押された。 | |||||||||
| チャリー・スパイクス | 81(実働1年) | 1951/1/23 | 26 | 6 | 6 | 1 | 122 | 14 | 外野手 |
| 大砲と期待されて入団したものの故障に泣き、たまに代打で出場してもバットは虚しく空を切るだ けだった。 | |||||||||
| ゲーリー・レーシッチ | 86-88(実働3年) | 1954/10/28 | 317 | 332 | 189 | 76 | 283 | 4 | 外野手 |
| 落合打法を身につけけて88年3番を打ち優勝に貢献 | |||||||||
| ボビー・カスティーヨ | 87(実働1年) | 1955/4/18 | 2 | 10回1/3 1勝1敗 防御率7.84 41 | 投手 | ||||
| 第三の助っ人として入団。登板チャンスはシーズン終盤の9月、2試合に投げたが結果が残せず、その年限りで退団。 | |||||||||
| ラルフ・ブライアント | 88(実働1年) | 1961/5/20 | 49 | 外野手 | |||||
| 中日では出番が無く近鉄に移籍後本塁打王3回打点王、MVP各1回受賞。 | |||||||||
| ジョージ・ヒンショー | 89(実働1年) | 1959/10/23 | 53 | 59 | 26 | 8 | 294 | 32 | 外野手 |
| 日本向きのスプレー・ヒッティングが持ち味もチャンスで打てなかった。 | |||||||||
| 30 郭 源治 | 81-96(実働16年) | 1956/10/5 | 496 | 1971回1/3 106勝106敗11S 防御率3.22 | 投手 | ||||
| 先発,抑えに大活躍。88年MVP.87,88年と最優秀救援投手、94年には最優秀防御率賞。 | |||||||||
| ケン・モッカ | 82-85(実働3年) | 1950/9/29 | 473 | 516 | 268 | 82 | 304 | 4 | 内野手 |
| 在籍3年間すべて3割をキープ最終試合にナインから胴上げされファンからも愛された。 | |||||||||
| バンス・ロー | 90(実働1年) | 1956/10/1 | 122 | 143 | 78 | 29 | 313 | 2 | 内野手 |
| 攻守に渡り活躍3割をマーク。ベストナインに選ばれ家庭の理由で退団。 | |||||||||
| 陳 義信 | 89-90(実働2年) | 1963/8/15 | 21 | 39回2/3 3勝1敗 防御率5.90 12 | 投手 | ||||
| 1年目の5月21日ヤクルト戦に救援で初勝利。救援だけで3勝をあげた。 | |||||||||
| ベニー・ディステファーノ | 90(実働1年) | 1962/1/23 | 56 | 39 | 14 | 5 | 215 | 30 | 内野手 |
| 気が荒く、主役になるのは乱闘シーンだった。オープン戦でデットボールを受けて乱闘になったことも。 | |||||||||
| マーク・ライアル | 91-92(実働2年) | 1960/4/28 | 124 | 138 | 88 | 24 | 286 | 16 | 外野手 |
| 堅実な中距離ヒッター。一年目は落合に次ぐ87打点ながら、翌年4月に左ヒザを故障。 | |||||||||
| スコット・アンダーソン | 91-92実働2年) | 1962/8/1 | 54 | 272回 18勝21敗 防御率4.00 28 | 投手 | ||||
| 195センチの長身を生かしての速球と変化球に威力があり、1年目には4完封をした。 | |||||||||
| スコット・サーヴィス | 91(実働1年) | 1967/2/27 | 1 | 1回 0勝0敗 防御率9.00 53 | 投手 | ||||
| ライアル、アンダーソンに次ぐ第三の助っ人として入団したが、チャンスに恵まれず、わずか1試合に登板したのみだった。 | |||||||||
| ブルック・ジャコビー | 93(実働1年) | 1959/11/23 | 18 | 11 | 6 | 2 | 183 | 7 | 内野手 |
| 開幕当初は現役メジャーリーガーと期待されたが、開幕から一ヶ月の5月上旬、古傷の右ひざへの不安を理由に自ら退団。 | |||||||||
| マット・ステアーズ | 93(実働1年) | 1968/2/27 | 60 | 33 | 23 | 6 | 250 | 7 | 外野手 |
| ジャコビーの代役として6月中旬に来日。9月下旬のヤクルトとの首位決戦で2本塁打を打って存在感をアピールした。 | |||||||||
| ドウェイン・ヘンリー | 94(実働1年) | 1962/2/16 | 31 | 67回1/3 3勝7敗 防御率3.48 42 | 投手 | ||||
| 亡きトム・ハウス氏の推薦で93年の秋、テストを受けて入団。主に中継ぎとして活躍したが、助っ人としての活躍は果たせず | |||||||||
| メル・ホール | 95(実働1年) | 1960/9/16 | 50 | 42 | 35 | 12 | 236 | 7 | 外野手 |
| 93、94年とロッテで実績を残しての中日移籍も結果は散々だった。 | |||||||||
| アロンゾ・パウエル | 92-97(実働6年) | 1964/12/12 | 632 | 765 | 369 | 107 | 318 | 30 | 外野手 |
| シェアなバッティングで右打ちの巧さには定評があった。94−96年と3年連続首位打者に輝く。 | |||||||||
| ディオン・ジェームス | 94(実働1年) | 1962/11/9 | 100 | 98 | 40 | 8 | 263 | 19 | 外野手 |
| スプレー・ヒッティングが特徴。主に三番、五番に座ったが、期待されたほどヒットが打てず、率も残せなかった。 | |||||||||
| リッチ・モンテレオーネ | 95(実働1年) | 1963/3/22 | 11 | 44回 2勝4敗 防御率6.55 42 | 投手 | ||||
| スピードが持ち味だが制球が悪く打ち込まれることが多かった。 | |||||||||
| ダーネル・コールズ | 96(実働1年) | 1962/6/2 | 130 | 155 | 79 | 29 | 302 | 4 | 内野手 |
| バッティングは合格だが守備に難点がなごやドーム建設にともない解雇。 | |||||||||
| 宣 銅烈 | 96-99(実働4年) | 1963/1/10 | 123 | 166回 9勝2敗70S 防御率2.71 20 | 投手 | ||||
| 韓国球界が生んだスーパースター、力で押すピッチングが冴える | |||||||||
| レオ・ゴメス | 97-02(実働6年) | 1967/3/2 | 660 | 690 | 449 | 153 | 293 | 4 | 内野手 |
| 4年間にわたり主軸打者を務めた97,99年に3塁手でベストナインに01年に復帰 | |||||||||
| 李 鐘範 | 98-01 | 1970/8/15 | 308 | 281 | 96 | 26 | 258 | 8 | 外野手 |
| 韓国のイチローと騒がれての入団。風の申し子とも言われた。 | |||||||||
| ケビン・ジャービス | 98(実働1年) | 1969/8/1 | 4 | 16回1/3 1勝2敗 防御率4.41 4 | 投手 | ||||
| ていねいな配球でコーナーをつくピッチングが持ち味だった。 | |||||||||
| ジミー・ウィリアムス | 98(実働1年) | 1965/5/18 | 一軍経験なし | 60 | 投手 | ||||
| 2メートル近い長身を利かしての投球に期待されたが2軍でも通用しなかった。 | |||||||||
| サムソン・リー | 98-99(実働2年) | 1971/3/11 | 128回 7勝5敗3セーブ 防御率4.68 | 17 | 投手 | ||||
| 三振を奪うと、長髪を振り乱す独特のガッツポーズを決める。先発、中継ぎ、抑えとフル回転 | |||||||||
| 呂 建剛 | 99-01 | 1979/2/19 | 一軍経験なし | 69 | 投手 | ||||
| 初の中国人プロ野球選手、粗削りだが150キロのストレートが大きな武器。 | |||||||||
| ネルソン・リリアーノ | 99(実働1年) | 1964/6/3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 000 | 64 | 内野手 |
| メジャー6球団でプレーの実績があり、主に2塁を守るスイッチヒッター | |||||||||
| メルビン・バンチ | 00-02 | 1972/11/4 | 456.2回 31勝23敗セーブ 防御率3.22 | 42 | 投手 | ||||
| 2000年は先発として活躍、最多勝を獲得。2002年シーズン途中、心臓疾患の疑いで帰国しそのまま退団した。 | |||||||||
| ダン・カールソン | 00(実働1年) | 1970/1/26 | 2試合 2.1回 0勝0敗 防御率0.00 | 46 | 投手 | ||||
| デビッド・ニルソン | 00(実働1年) | 1970/12/14 | 18 | 11 | 8 | 1 | 180 | 44 | 捕手 |
| ディンゴ | |||||||||
| エディ・ギャラード | 00-03(実働2.5年) | 1970/8/13 | 回 勝敗セーブ 防御率 | 18 | 投手 | ||||
| 曹 竣揚 | 00- | 1976/3/29 | 2試合 5.2回 0勝1敗 防御率9.53 | 30 | 投手 | ||||
| 台湾球界5人目で史上最年少のノーヒットノーランを達成した。 | |||||||||
| ティム・アンロー | 01 | 1971/10/7 | 4 | 1 | 0 | 0 | 143 | 9 | 内野手 |
| オジー・ティモンズ | 01 | 1971/9/18 | 83 | 62 | 45 | 12 | 228 | 44 | 外野手 |
| スコット・ブレット | 02(実働1年) | 1969/12/25 | 49 | 49 | 30 | 15 | 201 | 49 | 外野手 |
| メジャーリーグのプレー経験もあるパワーヒッター、守備・走塁は抜群 | |||||||||
| マーチン・バルガス | 02- | 1978/2/22 | 39 | 投手 | |||||
| 球がまるで蛇の動きのように揺れる「ブラックスネーク」といわれる球種が必殺球。 | |||||||||
| マークバルデス | 03- | 1971/12/20 | 44 | 投手 | |||||
| 阪神時代は抑えのエースとして活躍、多彩な変化球と制球力が売り物。 | |||||||||
| オマール・リナレス | 02-04 | 1967/10/23 | 132 | 86 | 61 | 11 | 246 | 38 | 内野手 |
| キューバ初の三冠王、92年のバルセロナ五輪と96年アトランタ五輪で金メダル。 | |||||||||
| イバン・クルーズ | 03 | 1968/5/3 | 71 | 50 | 34 | 11 | 222 | 49 | 内野手 |
| アレックス・オチョア | 03-04現在 | 1972/3/29 | 275 | 302 | 154 | 42 | 294 | 22 | 外野手 |
| 打撃・強肩・俊足の3拍子揃った選手。 | |||||||||